皆さんこんにちは。いきなりですが、皆さん今年の大河ドラマがはじまりましたね。今年の主人公は「明智光秀」。みなさんはどんな印象をお持ちでしょうか?
主君を裏切った卑怯者?
一瞬でも天下を取った大物?
いろんな見方があると思います。今回は大河ドラマに先立ち、明日から使えるトリビアをご紹介したいと思います。
お子さんがいらっしゃる方は小学校高学年の授業でも「本能寺の変」はテストに出るくらい有名な事柄ですので、一緒に楽しむのもありです。
学校では絶対に教えてくれない歴史の裏側や明智光秀はなぜ本能寺の変を起こしたのか。
そんな歴史トリビアをご紹介します。
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あの人実はこんな人!歴史上人物の意外な裏側〈歴史 人物〉
まずは明智光秀の歴史上の人物像から探っていきましょう。
彼は実は若い頃の記録がほとんどなく、どこで生まれ育ったのか・どんな子供時代、青年時代だったのかというところは謎に包まれています。
仮説ではおそらく現在の岐阜県にある明智郡の生まれではないかと言われています。
父親の名前が伝わらないくらいの低い身分であったそうです。
そして大河ドラマでもあったように「美濃のマムシ」として有名な斎藤道三に仕えていたそうです。
しかし斎藤家のお家騒動、道三と息子の義龍の争いに巻き込まれ一族は離散してしまいます。その後、光秀は朝倉義景に仕えたそうです。
また医学的な知識も豊富だったそうで、光秀が語った傷の手当などの知識についてまとめられた写本が見つかっています。
そのために織田信長に仕える前は、医師として働いていたのではないかとの説もあります。
それらの知識を得るために諸国を漫遊していたそうです。
しかし戦には負けて国からは追われているため、お金がなく妻が黒髪を売ってお金を用立てました。
ちなみに織田家とは斎藤道三も縁が深く、娘の濃姫を信長に嫁がせたのは有名ですね。
光秀も濃姫と何かしらの繋がりがあったとされています。
織田信長に仕え、明智光秀は何年も彼を支えます。その甲斐もあって、重臣にとりたてられ出世します。しかしここからが本題と言って良いほど、彼は数奇な人生をたどります。
実はまだちゃんと解明されていない!?隠された歴史ミステリー
明智光秀といえば「本能寺の変」ですね。この事件は明智光秀が仕えていた織田信長を京都の本能寺で討ったという衝撃的なものです。この事件のために光秀は「裏切り者」というイメージがついてしまいました。
しかしなぜ彼は「本能寺の変」を起こしたのか。それは未だにわかっていないのです。しかも本当に彼が1人でおこしたのかも謎です。黒幕として誰かがかかわっていたのか、それもわかっていません。
しかも本能寺で織田信長の死体も見つかっておらず、光秀は最後まで信長の首は取れなかったのです。そのため信長は生き延びていたのではないかという説もあるくらいです。
この歴史史上最大のミステリーについていくつか仮説を上げていこうかと思います。
まずはなぜ、光秀が事件を起こしたのか考えていきましょう。
光秀は長く信長に仕えました。その中で「比叡山延暦寺焼き討ち」など重要な場面で活躍してきたのは事実です。
しかしそれは本当に光秀が望んでいた仕事でしょうか?信長は苛烈な方法を取ることで有名です。
女・子供関係なく殺したこともあったでしょう。それは光秀が望んでいた未来なのでしょうか。
そして信長からのパワハラもあったそうです。光秀の外見を笑ったり、他の部下もいる前で罵倒したり、罵りながら蹴られたこともあったそうです。
どうですか?ここまでされて医師としても働いたことのある光秀が我慢できると思いますか?もしかしたら仕える人間を間違った、この男に天下はとらせてはならないと思ったのかもしれませんね。
または彼に野心があったとしたらどうでしょう。考えにくい説ではありますが、自分が天下を取ろうとしたとか。
しかし彼は結局三日天下といわれるくらい短い期間しか天下をとれず、豊臣秀吉に討ち取られてしまいます。知力があるという光秀にしてはなんだか違和感がありますよね。
こんな風に様々な想像がかきたてられる、歴史ミステリーでした。
まとめ
光秀は数奇な人生を送り、結局は主君を裏切った裏切り者として歴史に名前を残すことになりました。しかしそれだけではなく、彼は様々な活躍をしていたことが分かりましたね。歴史ミステリーとして名高い本能寺の変も様々な説があるので、想像がかきたてられます。
いかがでしたか?歴史は他にも面白い人物・出来事にあふれていますのでぜひそちらも調べてみてくださいね。